季節はまた変わりつつあり

またしばらく放置していました。

各所でアピールしまくっているので読んでくれてる人は知ってるのかなーなんて思うんですけど、この度進学することになりまして。

脱・低学歴(まだ卒業できたわけじゃないけど…)ということで調子に乗ったり今更かーと落ち込んだりしていて忙しかったのでメンタルは崩壊しかけつつも更新できませんでした。

 

みなさんご存知でしょうか、失敗って取り返せないんですよ。

何かをしようと思ったときの気持ちっていうのがまずあって、そこから行動して結果が出るわけじゃないですか。

そのときの失敗って一つ一つちゃんと自分の中に残るもので、最終的に成功してよかったー!勝つまでやれば負けないから!なんてことはなくて、1回失敗して成功したらそれは1回失敗した上での成功、2回失敗して成功したらそれは2回失敗した上での成功ってことで、負けなしの勝ちとは違う、捉え方の問題ではありますが、私はそう感じるし、私じゃなくても人と比較されるとそうジャッジされることは実際にあります。

そういうのを突っぱねられる元気が私にはもうないなーとか思ってみてる今日この頃です。

 

私の失敗ってなんなのでしょうか。

短い期間で複数回転職したこと?大学を中退したこと?浪人生のふりをしてニートしたこと?学校への愛想を尽かしていたのに結局やめずに卒業したこと?不登校になったこと?高校生になっても高校生らしく振る舞うことができず、友達も少なく恋人もいなかったこと?

この辺にしておきましょう。

候補がありすぎて、ああ、しかもどれも紛うことなき失敗でくらくらしてくるわ。

でも、生まれた時点でこうなることは決まっていたんじゃないかと思います。

 

子供の頃から何かがおかしかった。

言葉が早かった。

2歳の時点で明確に理由のある人の好き嫌いがあった。

大人の「楽しいね」に「私は楽しくない」と答えていた。

説明されればなんでもできた。ある程度は説明されてなくても類推できた。

規則性がよくわかった。

作業を終えるのが人よりも早すぎていつも不安だから何度も見直しして細部を見て、「真面目だ」とか「丁寧だ」とか褒められた。

すごおい、天才感あるう。

 

子供時代のうちに、何人かの大人には「精神は大人だ」「もっと難しいことをやった方がいい」と言われたのに、自分がそれほど人より優れているはずがない、思い上がってはバチが当たる、今は偶然劣った人たちの中に放り込まれているんだ、確率の問題に違いない、ここで調子に乗ったら人生が壊れてしまう、と思って全て拒絶して、結果として"劣った"人たちとの関わりの中でどんどん歪んで人生が壊れたね、ほらね私はやっぱり馬鹿だった、自分の人生をドライブする能力にも人の意見を聞き入れる柔軟性にも欠けていた、どうせこんな人間はいずれ潰れるんだから早く結論に到達できてよかったね大好きな人生RTA

 

でも私も必死に生きていたということは自分で認めてあげたい。周りの人を劣っていると評価したのは見下していたからというよりそうでもしないと整合性が取れなかったから。それでも、そのことは口に出さなかったのに、人を勝手に評価したことに罪悪感を抱いて自分は生まれてこないほうがいい人間だってずっと思ってたんですよ。年齢一桁の子供がですよ。

なんなら9歳ごろにはもうそこも通り過ぎて、他人の感情に対して理性でぶつかるのは失礼だと思うようになり、理性ではどうするべきかわかっている場面であえて素朴な感情でぶつかって破滅するようになりました。

その結果嫌われて、それが本来の自分の成績なんだと妙に安心していました。

 

そうすべきだというままに振る舞って褒められてばかりだった頃、私の能力は不当に高く評価されているとずっと感じていました。何もしなくても友達ができる。私は好きじゃないのに。何もしなくても大人に褒めてもらえる。私は頑張ってないし大人を尊敬してないのに。何もしなくても色んなチャンスを与えてもらえる。私は望んでないのに。望んでいる人が他にいるのに。

そうやって葛藤して生きていると、たまに同じように葛藤を続けてきた大人が見つけてくれることがありました。みんなすぐにいなくなりました。だって心が弱いから。

普通に生きていると本当に信頼できる人には滅多に会わないようですね。

会えないまま死んでいく人もたくさんいるようですね。

私はもう何人も見てきました。

真剣に様々なことと向き合った結果身を削ることとなり、そうすべきだと自分がわかっている通りの優しさを人に向けてみたいのにそれはずるいことのように感じるから長続きしない人々。愛すべき人々。仲間と呼びたくなる人々。

踏み込むことも踏み込まれることも無意味だとわかっているからギリギリわかるくらいの視線を交わしたらもう二度と会うことはない人々。

 

同じ目線で話せるだけの人たちはまあまあいるんですよ。

でも、今この歳になっても10歳年上だったり5歳以上年上かつ似たような感じで狂っている人だったりして、同じ年齢で同じところを見ている人には全然出会えません。

年齢が違うと何が悪いのかというと、その人たちは、性質は確かに似ているものの、私と同じように苦しんではいないんですよ。ベクトルはともかく深度が年齢相応であるために。

そうすると私はどうしても嫉妬してしまいます。

この人と私は同じなのにどうして私だけが苦しかったのか、これまでの時間は誰が補償してくれるのか、この人には理解者と出会えた喜びがあるのに私にはさほどの感動もなくて、どこで釣り合いが取れるのか。

あまりにも醜すぎると思いませんか。

人生をつかもうとして人に出会う。そうしたらもう人を見るべきなんですよ。人生なんて老後に1人になってから振り返ればいいんです、内向性を取っ払って手段を追求するべきなんです。人はそれを誠実さと呼びます。

私にはそのことへの憧れが持てません。

どこかで期待が裏切られることが分かりきっているんです。

自分の人生と心中するくらいの覚悟を決めてしまったから、もう人は必要ないんです。

浅く狭く、ただ生きていける最小限の関わりだけで、私は私として生きていきたい。

 

生まれ持った性質というのは残酷なもので、年齢と精神の乖離はどんどん加速していくように感じています。

とにかく、処理が速いんです。集中できる作業であれば、何でもかんでもすぐ終わらせることができる。得意なことはいくらでも集中できるから、偏って伸びていく。私の場合、それが言語能力で、言語能力が伸びていくと自分の精神をモニタリングしたり出来事を解釈したりする能力が上がるわけですから、精神年齢も必然的に上がっていくんです。

もう化け物みたいだと思います。

周りがどうしてそんなことで悩んでいるのかわからない。少し考えて違うことがすぐわかるようなことをみんなで共有して楽しんでいる。外部から揶揄されると真剣に怒っている。なんて無駄遣い。体力の浪費。

でもそれが社会だと思います。つまり、立派に社会活動をしているんです。

自分ばかりの厨二病患者とは違って。

私のこれを幼さと呼ぶ、そういう表現方法もあることは認めます。(とはいえ、ここまでの精神年齢の評価はあくまでも事実をそのように評価できるとした上での解釈に過ぎず、違う尺度を利用すれば同じ言葉で真逆の評価を下すことなど容易いのは自明ですよね。幼いとか老成しているとかの決着をつけてしまえばあなたは満足ですか?ねえ、馬鹿馬鹿しいと思いませんか?どうだっていいんですよそんなこと。事実を正確に共有したいんです。)

 

少し話を変えましょう。

好きだと思った人が全く好きじゃなくなりました。

理由は書きたくなったらまた書きます。

それで思ったんですけど、この世には多分、人を好きになる人とならない人がいるんですね。人は皆人を好きになるわけじゃないんだと思います。

後者なんだなと気付きました。

あと、上の方で、友達が欲しくないのに友達がいたことについて書きましたけど、それは子供だったから成り立ったんですよね。

今ではなんとなくうまくいかないようにこっそり仕向けているので友達になりたくないのになることはありません。

あらゆることについてこれは言えると思うんですよ。大人であれば。

したくないのにこうなった、というのは、日常における人間関係の範囲内では起こらないです。

社会問題まで拡張して読まないでくださいね。

したくないと認識していることが自己防衛ということが多い、という話です。

これを活用すると、人が何を恐れているのかがわかって面白いことがあるんですけど、その話は関係ないのでしません。

ある種の経験の不足は、人間性の判定に本当に正しく利用されますか?

 

疲れました。私はこういう生き物でした。それ以上のことが何も言えないことが分かりました。人は変わりません。例外なく。

 

引きこもり万歳

youtu.be

 

これ超かっこいいよね、最近また毎日聴いてる。

 

youtu.be

 

こっちも好き。

 

アルバムだと「ビール瓶を叩き割って前向いた地べた」なんだけど、それもいい。

 

音楽には全然詳しくないし知識もないんだけど聴くのが大好きで、気に入った曲を一曲リピートで数日流しっぱなし、みたいな聴き方をよくする。

中学生のときはグールドの平均律とかにどハマりして、ちょうどコンクールで弾くからその曲だけリピートして一日中聴いてたら、その話を聞いた友達に結構引かれた。

 

そういう聴き方をすると曲が自分の中に"入って"きて、演奏者の呼吸とか筋肉の弛緩を自分の肉体で"再生"できるようになります(電波発言)。

当時はお風呂場では歌ってたな。でも今は防水スピーカーがあるので捗る。

 

 

音楽に限らず文化が大好きで、非常に広く非常に浅く、目に留まったもの片っ端からつまみ食いしまくって、あるとき突然ビビッときたものを掘り起こしてそれだけ無限リピート、そのうち飽きて、また別のにビビッときて無限リピート、そのうち飽きて、別のにビビッときつつ前のビビッとを思い出して、みたいな感じで好きなものが増えていく。

というか、私の場合全てのことに対してそういう感じです。そうなんだよね。

それはいいんだけど、そんなんだから1人でいてもやることがないってことはなくて、例えば高校に行ってなかったとき何してたかというと、黒死館殺人事件にギブアップしてユリシーズ読破してた(黒死館は最近全部読んだよ!すごいでしょ!!!!!)。

 

堀口大学の詩を悶えながら読んだし、友達と寺山修司一緒に読んでゲラゲラ笑ったし、保健室で後輩と読もうとしたギリシャ神話集は未だに読めてない。

そんな感じで青春を浪費したことは全然後悔してないし、今も泥棒日記だの冬の夜ひとりの旅人がだの聖母の贈り物だのにキャーキャー言いながらサキでゲラゲラ笑って通勤時は俺はやる聴いてる(ここまで全部1人で!)。

 

重めの愛が好きだし、完璧に肉体的なねっとりした作品を好んで消費するような人物像に憧れてもいるんだけど、根が理詰め大好きスピード感重視な人間だからか、なりきれていないところがある。

具体的には、本当は三島由紀夫とか谷崎潤一郎を読んでたいけど現実には萩原朔太郎とか堀口大学とか稲垣足穂あたりで落ち着いてる。

そしてそんな自分が好き!!!!!!!

ピンチョンもうちょっと読みたいな。

 

で、音楽っていうのは本と違って受動的でいても世界に入れるから、本よりも手広く聴けていると思う。

 

確か日本語ラップとの出会いはフリースタイルダンジョンで、なんでだったか忘れたけど見たらクソかっこよくて毎週見るようになった。

悲しいかな、私は毎週同じことをやるということが全くできないのですぐその習慣はなくなったけど、それから雑に聴くようになったというわけです。

最近はApple Musicで雑に再生して気になったのをピックアップするスタイルなので、数曲のお気に入りを除いて曲名やアーティスト名は全然わからない。

そんなわけでラップが好きな知り合いが1人もいないし作れないので、何曲かおすすめを貼っていく。

 

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これも超かっこいい。

2015のANARCHYが渋い。

リメイクは4つあって、上の動画には入ってないみたいだけど、2018の紅桜も良かった。

 

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この動画確認できてないけど、この曲も何回も聴いた。

STUTSは1回だけ見に行ったことあるよ。

 

 

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家に帰ってやる気ねぇ〜!!!ってときはこれ聴きながらコーヒー淹れる。

カリタの銅ポットでお湯沸かしてケメックスで淹れるといー感じ。

 

あとはなんだろう、プレイリスト雑に再生してるだけなんだけど唾奇とかは疲れてるとき染みる。

 

バトルだと鎮座DOPENESSとDOTAMAが好き(だった。結構前の話なので)。

 

だめだまたまとまらない。

そんな感じで、文化最高!!!!!!という今日この頃でした。

 

不調続き

youtu.be

 

いい意味で期待を裏切るように、と先生に教わったことがある。

人間が関わることであれば、これはあらゆることに適用できるのではないだろうか。

私見だが、多くの人は希望を述べるときに保険をかける。

途方もなく大きな理想は実現しないから、もしかしたら叶いそうな、叶えてもらえそうなことだけを口にするのだ。

だから、いい意味で期待を裏切るとは、非言語コミュニケーションのことでもある。

理想に近いものを提供すること、これは魂の交流で、エンパシーだ。

 

私の人間の趣味は、先生から多大な影響を受けている。先生のような人が好き、とも言える。

たまに真似をしてみてわかったことだが、求めて得られるものが多いのとは対照的に、与えることで得られるものは大きい。

 

 

最近は泥棒日記を読んでいる。

読めば読むほど救われるような気がする。

じっくり読んでいるので終わるまでまだしばらくかかりそう。

追い詰められたときに考えたことはどれも妙に綺麗で、真っ白だと感じられるのだけど、つまりそういうことが書いてあるなと思った。

全く正しくはない一方で、自己愛を放棄することによって一貫性が担保されている論理があって、いつもそれを妥協せずに突き詰めているから、その時々の自己が説明できることが何よりも重要なのよね。

何にもならない時間や労力こそが自分を構成しているんですって自分の中では諦めて開き直っていても落ち込んでばかりだから支えが必要、その支えになり得るのがこの本です。

このブログの読者なら冬休みに読みましょう。

 

 

最近痩せすぎてしまったので減量の記事が書けない。

なんで痩せたのかな。

どう考えても心の赴くままに動き回ってるのが原因ですね。なんとかして増量したい。頑張る。

サイズがぴったりでよく似合う人生

何があったということもない、としか言えないくらい、ものすごく微妙で主観的な、もしかしたら妄想かもしれないような話ですので詳細は省きますが、険悪なムードになりここしばらく一切交流しておりません。

それ以前にあまり思い出さなくなり、ああ、距離って大きいんだなあ、などと感じてもいます。

 

もやもやするけど何について書きましょうかね。

そうだな、生きる上では日々色々あるけど、結論から言えばどうせ耐えられることばっかりなんだよね。

私が鉄の女だからかしら。

でも嬉しくても悲しくても怒ってても怖くても死にたくても何もないところに戻ってきてしまう。

根本的に人が嫌いなことは昔から全く変わってなくても、黙ってそれっぽくしてればやり過ごせることとか、慣れて覚えてしまった。

悲しいなあ。いつか何か見つかると思ってた。

いや、言葉と音楽が好きだよ。そこに没頭している時間は自由で幸せ。

でもそれ以外は全然生きてる感じがしない。

一生消化試合。見所もなく、何もしなければしないほどマシ。

 

なんかさ、すごく傲慢に聞こえるであろうことを今日は書かせてね。

昔から、人って勝手に寄ってきたんだよね。

暗いし怖い(らしい)から強烈な人気は出ないんだけど、すっごいやる気ない時でも、絶対誰か話しかけてくれるの。

で、まあまあ時間があれば、大体その人を通して私と話してみたいって人が集まってきて、それから何となくちょうどいい感じの場所に収まるのね。

性格悪いから、その場の人全員嫌いで振り切って1人でいたり、極端な言動を繰り返して嫌われて嫌になってしゃべらなくなったりすることはあるけど、寄って来る人がそもそも0人っていうのは体験したことないのよ。

もっと言うと、何かしらを褒めてくれる人が1人もいない環境も経験したことない。

なんだけど、そういうのはみんな当たり前だと本当に割と最近まで思ってた。恵まれてたんだね。

私としては、それでも人とうまく話せないとか同じこと考えてる人がいないとか変な人に絡まれがちとかの問題があって、孤独で辛いことばっかりの社会不適合者として自分を捉えていたんだけど、なんか、見る人によってはすごいむかついただろうなと最近思った。

 

等身大の自分を見るのがキツい。

厨二病だから自分が何か特別であってほしかった。

なんなら悪い方向でもいいから、私だけの人生っていうものに憧れてた。

同性全体が嫌いだったし、集団行動には少しも耐えられなかったから、恋愛感情を少しも感じたことがなくても期待してたところがあるんだと思う。

出会いさえすればきっとちゃんと人生が始まるんだ、みたいな。

だから友情でも良かったんだよね。とにかく、それまでの人生と自分を切り離して、自分をもう少しマシな存在として捉えられるようになりたかった。他者に強く心惹かれてみたかった。

実際好きな人ができて、失敗したっていうのはここにも何回か書いた気がするけど、それについては未だに頻繁に思い出して、いつも心の底から後悔と反省ばかりだよ。

結局、私は自分が一番好きで誰よりも成功したいと思ってるから、全人類ライバルなんだよね。本音で語り合って愛を育むなんて絶対に無理。

心の内を話してしまったら、その人と長期間寄り添って生きていくなんてだめ、だって敵だから。

どんなに魅力的な人が目の前にいても、その魅力っていうのは「自分がそうありたかった姿」であって、嫉妬の対象でしかない。本当は私がその立ち位置にいたかった。私が負けたからあなたはそこにいる。努力もそれほどしたことないけど悔しくて頭おかしくなりそう。

 

私のことを好きな人っていうのも、昔からまあまあ発生してた。

発生って言い方悪いけど、大体みんなそんなに喋ったことなくて、よくわからないけどそうなんだ、くらいの認識だった。

全くときめかないんだよね。まず、最初が小学校低学年とかで「は?」って感じだったし、ある程度大きくなる頃には割とあることだから、まあ大体の人は他人に好意を抱き、その好意の対象は一定の傾向を持ちつつもその人の枠の中でランダムに設定されるのかな、くらいの理解をしていた。

例えば、髪が長く、日常的に交流可能な人が好きなAさんがいたら、Aさんが現在よく顔を出すコミュニティの中にいる髪の長い人の中から、偶然目を引くシーンに居合わせた人をAさんは好きになるのかな、という。

だってさ、犬を助けるヤンキーに恋する展開とかってさ、その時偶然犬、ヤンキー、少女、双方の異性への関心、意外性が居合わせたから成立するわけで、その少女がガタイのいい人が好きという傾向にあったとして、もし下校中急な雨で適当な屋根の下に逃げ込んだらそこは剣道場で、ちょっと覗いてみたらクラスの嫌われ者のガリ勉君が大活躍していてあれっ意外と腕が太いんだ…ってなったら絶対恋に落ちてるでしょ。捨て犬OR剣道場って偶然でしょ。

だから、素質と傾向と運が揃えば人間の交流が発生するんだろうなと思う。

でも私は交流したくない。だるいから。

寂しさよりだるさが勝つので、私の人生にはそれほど多くの登場人物は出てこないし、他の人の人生にも私が登場することはそれほど多くない。

ただ、私みたいなのが好きな人が一定数いて、長期間同じ空間にいると後は確率の問題でいずれその人は私を好きになる。

それってさ、なんか特別なものなのかな?こっちが配慮して生活していかなきゃいけないものかな?って思っちゃうんだよね。

 

うまくやっていこうと思って頑張った場合それなりの成果は出るけど、私の場合一切頑張らなくてもそれほど困らないし、どちらにせよそれほど心が動かされることはない。

そういう風に生きてきて、自分のこと何回も、大した能力もなく何も持ってないくせに傲慢でプライドだけ高い勘違い女だと思って恥ずかしくなったよ。生まれてこなければ良かった、明日目が覚めなければいいとか毎日考えてた。

それで精神病にまでなっちゃって、どこまで甘えるんだって。

せめて辛さくらい全部自分で引き受けろよって思った。

他の人たちだって結構興味を持てない他人を適当に扱ってるのは知ってたけど、その人たちは多分自覚がないということもわかってたから、わかった上で他人を軽視する自分がやっぱり一番汚いと思った。

自分なりにちゃんとやってきてる人たちに対して失礼だから、一緒にいて楽しい人がいてもその人と一番親しい人にはならないように気をつけてた。

そこまで興味もないし相手もどうせ楽しくないだろうし泥沼になったら他の人にも迷惑がかかりそうだから特に恋愛っぽいものは高校卒業まで徹底的に避けた。

私は無意識にモラっぽいところがあるから、逃げたくなれば逃げられるように、関わりすぎたら時間を置いたり、知ってることも知らないように振る舞ったりした。

でも根が強烈なエゴイストだから、いくら他人の判断を自分のより尊重しようとしても、いざという時自分がしたい方に持っていこうとしちゃうのよ。

そしてその時、相手はなんで私がそうしたのか全くわかんないわけよ。

そこで意味不明なキチガイ女、爆誕ですわ。

何にでも言えることだけど、中途半端な決意をするくらいなら何も考えてないほうが遥かにマシなんだよね。

 

そんなこんなで最低な私だけど、それでもそれほど最低じゃないから今苦しんでいる。

いや最低だろって思う?違うんだよ、下には下がいる。

昔、何人かとデートしてた時期ね、恋愛経験は少ないわけだし年上がいいのかなと思って一回り以上年上の研究者と仲良くなってみたのね。

結論から申し上げると、その人は私のこと好きになったのよ。

その人、どうやらまあまあ経験豊富で常に複数お相手がいるらしく(別にはっきりそう言われたわけではない)、まあそうだろうなと思わせる点も多々あったわけ。

私の行動を言語化したり、思考を分析したりしてきたんだけど、連絡も取らなくなってだいぶ経つのに、未だに(ああ、このことか…)と思うことがある。

若い頃私に似た人と付き合ってたとも言ってたし、私がどういう人間なのか見えてたんだろうね。

すごいよ、完全な理解者だよ。それが好きって言ってくれたんだよ。少女漫画じゃない?

でもそのことに気付いたら絶望的な気分になってしまった。

だって、他の人たちは、思ったよりも私がロクでもない(もしくは意味不明な)人間だったから離れていったけど、私のことをよく見て、正しく理解して、その上で許せる、好きだと思う人がいたんだよ。

私がまだ短いながらも、人生をかけて憎んできた人間をだよ。

認めた上で、もっと一緒にいたいと思ってしまう人が存在するんだよ。

素質、傾向、運が揃って落ちるのは恋だけど、欠点とかどうでもいいすれ違いで冷めていくものじゃん、それを超えてきちゃうんだよ。

完敗だよね。器が違う。

 

自分がどうしようもない存在であってほしかった。

本当に何も持っていないのに若さゆえに勘違いしていて、卑屈になってみせることで防御に回りつつも内心はこんなものじゃないと思っているような、弱い生き物であってほしかった。

でも私は多分それほど弱くない。性格が悪くても能力がある。

強そうに見える、真面目で怖そうな雰囲気通り、それなりに強い側にいて、だから特性上困難な、モラっぽい態度も矯正していかないといけない。

人に親切にすべきだし、特別に好意を向けられたら、自分は同じように返せないことをはっきりと、それでも配慮しつつ示せるよう、誠実でいないといけない。

人より頑張らないといけないことが普通に生活する上で多いかもしれないけど、それは私がそれほど弱くないからだ。謙虚だと褒められても、オプションじゃない。常にそうしないといけない。

なんかもう、自分にがっかりしても素直に落ち込めない。

悲劇のヒロインを目指さず、現実を見据えて次の機会に備えていかないとな、と冷静に考えている自分がいる。

それもこれも、無駄に理解されてしまったからだ。

ものすごく残念なことに、私にはちゃんと長所がある。戦っていける。

35歳あたりになった時に、若い頃の自分は非常に痛々しかったことに気付き、しかし明日も仕事なので過去のことを考えることにそれほど時間を費やすこともできず、今更きっとどうにもならない孤独な現状を受け入れるしかないし、とりあえず明日も頑張るぞ!なんて感じで思い至りたかった。

逃げ道が用意されていない平坦な人生を、発達しなかった心を引きずりながら歩んでいく。

偶然障害という免罪符が用意されていても、これくらいのハンディキャップはきっと誰もが抱えている。

私はちゃんと頑張らないといけない。現実を見て対処していかないといけない。

 

私は人のために手間をかけることができない。私はすごく低い確率で恋をする。現在は偶然、距離とかいうちょっとした障害が存在している。

答えは出てるよねえ。

なんかさ、結果を出したいね。たくさんすごいことを成し遂げてやりたい。

やっぱり私が一番がいいなあ。もう言い訳はできないんだと思う。

もやもやしていようととりあえずの結論の上でうまく立ち回り、成果物を出していくってことが、大人の仕事ってことなんですねえ。

複数の真実について

ごきげんよう

私は絶賛ネガティヴ期をエンジョイしちゃってますが、みなさんお元気ですか。

 

あの、あのですね。

あのスワイプしまくることで有名な某マッチングアプリに登録してみたんですよ。

びっくりでしょ。私もびっくり。

もちろん動機は、好きな人と上手くいかないだろうし惨めにならないために他の人を探そうと思ったから。なんだかんだ、誰が相手でも、雑な扱いをされても楽しめるんじゃないかと思ったんだよね。

自分が自分を高く見積もって、本来そうするべきというレベルを大幅に超えて大事に大事にしてきちゃったから、こんな鬱屈ばかりの人生になるのかなって。本当は私もただ女として見られたいとか、構ってほしいとか、これまで散々馬鹿にしてきた"普通の人"と同じなんじゃない?って、まあこういうことはよく思うのよ。

だってそんな、良くも悪くもこの生まれで私なんかが特別なわけないじゃないの。

 

さて、それで、顔写真なしのプロフィールにして適当にスワイプしていって、何人かからメッセージ来たのよ。

その中の1人が、気になってたイベントに一緒に行ってくれるって言うから、じゃあ会いましょうってなったの。

駅に向かうバス、泣いたよね。

まず知らない人に会うの怖いし、アプリで出会うなんて低俗ではしたないことだと思うし、雰囲気わかんない写真しかないし、プロフィールに身長書いてるのも意味不明だし、そもそも高身長別に好きじゃないし、なんかメッセージの文体違和感あるし、でも同意しといてそんな風に思うなんて失礼すぎる自分は最悪だし、恋人が欲しいとすら思っていないのに異性に会うのもなんでって感じだし、でも行きたいイベントは楽しみだから、今日はただそれに行くだけだからって思って。

でもでも、すごく好きな人に会いたくなってしまった。最後は幸せになれるから大丈夫って言ってくれたの超思い出した。

やっぱりあのアプリ悪名高いし、何人かそういうことが目的とか既婚者とかってプロフィールに書いちゃってる人もいたし、要求されるのかなーとか思って行ったの。

初恋の人とかさ、絶対自分のことは好きじゃないんだとずっと信じてたけど、何回もプラトニックなデートしてくれたんだよね。そういう場合、こっちがもうちょっと積極的に振る舞うべきだったよな、多分奥手な人だし、傷ついたかもな、みたいに思い出した。

そういうの、今じゃないとわからなかったなと思うとすごく悲しい。

タイミングってあるんだね。性格も合わなかったかもしれないけど、あの時は自分が自分を悪く思うことで忙しくて、誰のことも少しも信頼できなかった。信頼したいとも思ってなかったな。

でも今は信じられる人がいたらいいなと思うの。現実が自動的に追いついてくれるわけでもないし、それはそれで傷つくけれど。

 

「異性と会いたい人」からしたら、私はあくまで選択肢の一つでしかなくて、特徴って全部審査されるものになるじゃない?そういう審査によって自分がどういうところに位置付けられるかって大体わかるし、それで選ばれた場合よっぽど切羽詰まってるんだなとか、先着順か〜とか思ってしまうよね。

最終的に自分のことを気に入っていてくれる人はどうせ極々々々少数なんだし、ショートカット使いたくなっちゃうというのもあり。

 

トイレで涙拭いて、初恋の人には嫌われてるどころか記憶から抹消されているだろうこととか、好きな人にはおもしろ人間グランプリU25メンヘラ部門ダウナー型優勝程度にしか思われていないだろうこと、私が病むたびに他の男の話をするからもうそういう対象として見てくれてないだろうな、だから数日前も他の女とご飯行ってたじゃんまた行きましょうねって言われてたじゃん、相変わらず優しいけどってこととか考えて、私ももう大人なんだからって、背筋伸ばして歩いてみたの。

そうこうしてるうちに待ち合わせ場所に着いたのね。

来ないのね。

あっ(笑)これ(笑)聞いたことあるかも(笑)(笑)(笑)ブスだったら帰るやつ(笑)(笑)(笑)今日着てるニット、2年くらい前に買ったヨレヨレのやつだもん(笑)私背低いし胸ないし(笑)(笑)(笑)そうだよね(笑)(笑)(笑)

と飛び降りなど検討したところ、

お酒飲むイベントなのに車で来ちゃったと。

あー???

今どこにいるのか聞いたら、

腹痛でトイレにいる、お金あげるからカフェで待っててと。

はあー???

私って段取り悪い人嫌いみたい。

まあ優しいからカフェ向かうじゃん。

入る前に今から向かうって連絡きたから、入り口で待ってるって言ったのね。そしたらさ。

あの、白状します…お酒飲むとしたくなってしまうのでそこだけご了承いただけますか…?(一部改変だがほぼほぼ原文ママ

ファッ●ューーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!

いや違う、地獄に落ちろ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

直接言ってくるのは最悪すぎる。気持ち悪すぎる。

いくら私がダメ人間でもこれは許容できない。

つーか最初から何一つ許容できねえな!!!

顔がタイプの人がいい。育ちが良くてサブカル寄りで意味不明なこと言ってこなくて笑いのツボが似てて優しくて段取り良くて頭良くてちょっと自信ないところがあって奥手な人がいい。というか好きな人に会いたい。

そんなこんなで帰った。

 

どんな理由があろうとも、自分を安売りするような真似したくないよ。お高く留まってるように見えても構わない。私実際高いの。

女として生きたい人もいるし、そういう人が女であるために努力するのはその人たちの勝手であって、私は違う。事実より自意識が大事なの。

 

好きな人が優しいと、優しさの対象が自分であることが申し訳なくなる。

重い、何をやらせてもぎこちない、素が見えないように感じる、そういう人としての魅力のなさが申し訳ない。

300%私のせいなのに、何も要求せず時間をかけてくれるのが苦しい。

 

やっぱ優しくされると嬉しいんだな。

どうしたら喜んでくれるんだろうって思うんだけど、それが全然分からなくていつも病んでる。

特に今の好きな人に関しては、スキンシップが苦手っていうのも共有しちゃってるし、そういう手に出るとそっちに持っていこうとしてるってバレバレじゃん。

ちょっと女性不信なところがあるから普通に嫌がられる可能性もあるし。

っていうか、初恋の人もびっくりはしてたけど喜んではいなかった気がするな。

すごい落ちてた日に、その人が多分キスしようとしてたんだけど、顔見てやめてハグだけされて解散したことがあったな。

よく言われてる男性脳とか嘘だと思うんだよね。個人差ありすぎだよ。私の場合もっと根本的にちゃんとしないと絶対うまくいかないんだよ。

 

はい、それでタイトルなんだけどね。

人って無意識に楽な方に流れることが多いというか、自然な方に向かっていくんだなと思うの。エントロピー増大の法則的な。(ちょっと違う)

人が何か考えるとき、何かと自分の関係、何かと何かの関係について相対的に検討するとき(ほとんどの場合、考えるとはそういうこと)、その前提となっている世界は、その人が生きていく中で構築してきた、その人流の常識的な世界なのよ。

世帯収入とか容姿とか性格の大分類とか、わかりやすい指標でグループ分けしても、個人個人自分の世界を構築する素材となった体験が微妙に違っているから、世の中というものに対して完全に同じ認識ってことはほぼあり得ないと思うんだよね。

なのに、似た人と過ごすのは楽だから、成長すればするほど、人一般の性質は共通しているという考えについて確信を深めていく。実際は、常識っていろいろあるのに。

似た部分しか見ないっていう、一種のバイアス?なんか名前ついてそうだね。

一方、実際には全く同じ世界を見ている人はいない上で、これまたそれぞれ、完璧に一致することのない性格エンジンを搭載していて、そのうち自分が認識できている部分だけを集めて軽量化してモデルを置き、思考実験するわけよ。

そうやって大きい判断ってするわけじゃない?

ここで、それぞれの世界はどれも嘘のない真実なわけ。ただ、様々な要素が複雑に絡み合って、偶然その形で完成したの。これからも改修や増築を繰り返していくの。

その中で、絶対に、いくら努力しても、完璧に同化することや理解することは叶わないことをわかった上で、じゃあどういう違いなら受け入れられるのか。どういう状況なら受け入れたいと思うのか。

探しているのは本当にそういう受容なのか。

飾りのない、嘘のない愛を見つけられたとして、それを守れるのか。

大事にしたいと思えるのか。

相手はそれらについてどう思っているのか。

 

複数の真実が交錯するところで、奇跡的に相互に影響を及ぼし合い、特別であることを発見して(ここまででも非常に難しく、もうこれ以上は勘弁してくれ、と思ってしまう!)、理解を覚え、受容を学び、共存する道を模索すること。

変わりゆく私の自己同一性を守りつつ、常にそこにある視線の存在を認めること。

諦めでも思考の放棄でもなく、大胆な工夫をもって、私そのもの、誰かそのもの、私と誰かそのもの、それぞれの安定した独立を願い、守り続けること。

そのようなことへの純粋な憧れを否定されたくないから黙ってばかりだったけど、今は私が絶対に否定しないぞと思っているから、こうして書けるようになった。

 

ちょっと脱線しすぎたな。

とまあ、そういうわけで、やっぱり、無理しなくていいのかなと思った。

大体のことは希望通りにいかないけど、何回夢破れても私の価値が下がるわけじゃない。

理想を叶える・誰かに叶えてもらえる能力がある(と勘違いする)ことを想像するのは、確かに甘美だ。不安に駆られている人間ならば、悪い妄想によって生み出された、架空の「失敗した場合の自分」と、そこに重ねた、一見似たような状況にある人々と比較して、成功した自分は優れているように感じることができるのだから。

でも、それらは全てその人の中の物語だ。

大抵の場合、何かで失敗しても成功しても戸籍はあるままだし、保険適用で医療を受けられるし、最悪生保ももらえる。日雇いバイトも枠がある。

大丈夫、あなたを知らない誰かがいつもどこかにいる。

 

「別に好きな人ができたの」「結局、近くにいてくれる男じゃない?」

そういう、どこかで聞いたことがあるような台詞を使って言い訳するために労力を使うのはやめたい。

だって、自分を傷つける一部の人に私の世界を侵害させたくないと思う。

誰が何と言おうとも、好きな人たちは待っていてくれる。

自分勝手だけど、うまく関われなくても、まずは好きな人たちで世界を埋めていきたい。優しさがデフォルトだと信じて、気持ちを伝えることや喜ばせるための行動の積み重ねで生きていけるようになりたい。

 

あと、病むたびに他の男の話をするって書いたけど、これがね、どうしてもやめられなくて困ってる。

とはいえ変な話はしてないと思う。今仲良いのは○さんと△さんと□さんで、○さんは〜やってる人でよく誘ってくる。〜って暇なのかな?△さんには先週告白された。でも別に好きじゃないんですよ。そろそろ彼氏作ったほうがいいのかなあ。めんどくさいし今回は断りますけど。みたいな。

男の人と深く関わると大体途中から元カノの話してきて発狂しそうになるんだけど、もしかしたら仕返しかもしれないと最近気付いた。

うーん、でも私にその気があったらキモくない?

っていうか全然馬鹿だし他に多少仲良い人がいてもいけそうじゃない?

ガード固そうに見えるのだろうか。固いが。固いから他の男とどうこうなんて絶対にありえないが。

実際のところ彼氏もできたことないような人間だし、多少仲良いくらいで付き合わないよ。

それほど合わないのに〜っていう人の場合、多分誰とも付き合ったことないから興味持たれてるのもあるでしょ(その辺言ってない場合は、とりあえず付き合ってみて考える!ってレジリエンス高い人なんでしょ)。

数ヶ月後何一つ変わらず試し行動もどきを繰り返してたらどうせ幻滅だよ。

 

もちろん、こういうことするくらいなら、ウザいくらい好きってアピールして付き合ってって騒いでたほうが10000000000倍くらいマシなのはいくら私でもわかるんだけどねえ。

なんか仲良くなりすぎちゃってて、今更そのキャラ変はきついでしょって思っちゃうのよねえ。

もしアドバイスあればよろしくお願いします。

ガーリーに溺れたい

youtu.be

 

メラニー・マルティネスにハマっています。

なんかもう、全部かわいいよね、、

 

Melanie Martinez、読めなかったけど。

正直、記事書く前にもググったけど。

リンク貼ったFire Drillは歌詞も好きなのでよかったら調べてみてください。

Fire Drill=避難訓練 らしく、drillって何回も実施する訓練のことを指すらしいです。初めて知った。

 

youtu.be

そしてね、これが好きになったきっかけの曲。

超〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜かわいくない!?!?!?!?!?

きゃりーちゃんに出会った時くらい衝撃走ったわ。

歌詞は、あんまり私が共感できる感じではないんだけど女の子は結構好きな人多いんじゃないかしら。

 

最近毎日聴いている私のプレイリスト「kawaii party」(名前ダサッ…)は

  • Build It Up/Kero Kero Bonito
  • Say So/Doja Cat (歌詞が大好き!!!)
  • Play Date/Melanie Martinez
  • Utopia/AAAMYYY

の4曲です。

一応ほかもリンク貼っておくわね。

 

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あ〜もう、デートしたくなってきちゃった!

前から書いてる人のこと結構好きになっちゃったけどいつ会えるかもわからないし勝算もなくて辛いからアプリでもやろっかな!!!

本気じゃないデートでガーリーなワンピ着て一日中ヘラヘラして自己嫌悪で泣きたいの❤︎

 

そんな感じの今日この頃でした!

 

ラブリー減量ライフ Part.3 追記あり

この記事いつ書いたのか覚えていないのですが、「誕生日まであと3ヶ月」は明らかな誤りです。すみません。(2020/9/5追記)

 

ちゃんと続いております、ダイエット。

いやあ、自分でもこんなに続くと思ってなくてびっくりしています。

だってこの私ですよ?

ミス・三日坊主コンテストがあれば間違いなく即エントリー、三日坊主をアピールする自己紹介を考え始めて2日目で挫折、辞退を考えるもそのためのメールの文面を1日考えて諦め、予選会場でなんとなく誤魔化した面白みのない自己PRをして全然三日坊主とは言えないような真面目な参加者に本戦出場権を奪われすごい後悔するけどよく考えたら三日坊主の頂点を決めて何になるんだ、受賞したところで就職が厳しくなるだけだろうし実際審査員は何を見てあの完璧な自己紹介が三日坊主から生まれたと判断したんだ、この世は嘘ばかりで醜いなあ!!!!と思ってそのストレスを言い訳に資格の勉強を半日で挫折!くらいのこと全然やりそうな私なんですけど、ちゃんと痩せてます。

 

前回どこまで書いたか正直あんまり覚えてなくて、読み返すのも面倒だったから今やってることだけ書くわね。

  • あすけんで食事管理
  • マルチビタミンと鉄分のグミサプリをそれぞれ0.5日分ずつ摂取
  • 一日7000歩以上のウォーキング
  • YouTubeに上がっている森拓朗さんの足痩せストレッチ3種類
  • 月・金HIIT(バーピー→ノーマルスクワット→ひねる腹筋→バックエクステンション)1セット
  • 水のみブルガリアンスクワット(15回*3セットからスタートして現在20回20回15回)、インクラインプッシュアップ(7回*3セットからスタートして現在9回*3セット)、ナロープッシュアップ(7回*3セット)
  • 火木土日30分半身浴

 

いやー、私頑張ってるなー!!!

書いて満足。

 

現在42.5kgウエスト56.5cm。

他の数値はまだまだだから、今はとにかく足を細くしたい…

腰が細い&下半身の血流が悪い&歩き方がおかしい&食べないダイエットを繰り返してきた、あたりが原因だと思うけど、この体重でも太腿の隙間ができないのよね…

とりあえずストレッチで血流と歩き方を改善し、食べて代謝をあげることで、時間をかけながら食べないダイエットの履歴を精算、そして脂肪がもう少し落ちてから、私の腰の細さで隙間は可能なのかを再検討したいところ…

変えられないものは仕方ないからね。オーケー、受け止める覚悟はできてる。

でもね、腕は満足できる見た目になったの(モデル級とはいかないけれど)。

誕生日まであと3ヶ月、それまでに隙間を作りたい!!!

頑張ろう。